沿革

神保哲生(じんぼう・てつお)

20世紀末にインターネットが登場し、2000年代に入るとブロードバンドも普及し始めたため、次々とインターネット上に新しいメディアが立ち上がりました。その中には報道事業を生業とするメディアも出てきました。しかし、日本の報道事業は長らく新聞社とテレビ局、通信社のみが加盟できる記者クラブによって独占されてきたため、新たに登場したインターネットメディアの多くは基本的な報道のノウハウを持っていませんでした。報道にとって社会的信用が命綱である以上、いやしくも報道を名乗る事業者やそこで働く社員たちは、報道の原理原則への深い理解と高い倫理基準を持って取材活動に当たらなければならないことは言うまでもありません。

そこで2008年4月、報道事業を行うインターネットメディアの品質向上と会員の相互の情報共有などを目的として、元鎌倉市長で日本インターネット新聞社(JANJAN)の社長だった故・竹内 謙氏と株式会社ジェイ・キャストの蜷川真夫氏、オーマイニュースの元社長で講談社で週刊現代などの編集長を務めてきた元木昌彦氏、そして私(神保哲生)が主宰するビデオニュース・ドットコムが起ち上げメンバーとなり、日本インターネット協会を設立しました。現在では16社が加盟しています。
» 加盟社リスト

また、協会の発足当初、多くのインターネットメディアが政府や公的機関の情報へのアクセスに苦労していました。日本では情報へのアクセスが長らく既存の新聞社や放送局のみが加盟できる記者クラブに独占され、それ以外の報道機関の記者は取材はおろか記者会見にすら参加できずにいました。そこでインターネット報道協会は政府に対し積極的に記者会見の開放を働きかけた結果、2009年、民主党政権の発足とともに、主要な官庁の大臣会見が外国報道機関や雑誌、フリーランスとともにインターネットメディアの記者にも開放されるようになりました。

記者会見の開放はまだ道半ばですが、インターネット報道協会では公的な情報への公平なアクセス権を求めて、引き続き政府との交渉を続けています。

また、現在インターネット報道協会では、記者会見でスペースが限られている場合などで代表取材が行われる時、インターネット報道協会として代表取材を行ったり代表カメラを提供するほか、協会が主催する後援会やシンポジウムなどを通じて会員間の情報交換や親睦を図っています。

2024年6月1日
インターネット報道協会事務局長 神保哲生