「壁」でなく「卵」の側に

竹田聖・「週刊文春」編集長

聞き手 元木昌彦・インターネット報道協会代表理事

「文春でスクープを書きたい」 全国紙の記者も転職

――「週刊文春」は大きなスクープを連発し、世の中で大きな注目を集めています。取材にあたる人材をどのように育てているのですか。

決まった人材育成システムは、正直なところ、ありません。私が記者になったのはもう20年前ですが、スポーツ雑誌「ナンバー」から2004年に「週刊文春」編集部に異動し、右も左もわからないまま、先輩について現場を回り、OJTで育てられました。それは今も変わっていません。事件現場に行って「地取り」(現場周辺での聞き込み)をするとか、名簿などを基に電話でローラーをかけるとか、政治家や秘書に会う先輩についていって一緒に話を聞くとか。マニュアルも何もなく、見よう見まねで覚えていく。
ただ、ここ数年変わってきたことといえば、大手メディア、特に新聞からうちに来る方がすごく増えたことです。共同通信、日本経済新聞、朝日新聞、毎日新聞、産経新聞……。こういう大メディアから、正社員の座をなげうって「週刊文春でスクープを書いてみたい」と年俸契約の特派記者を志願して移ってくる。10年、20年前にはありえなかった話です。10年以上前は、週刊文春で活躍したことで「天下の朝日新聞」から声をかけられて移っていく人がいました。今、それとはまったく逆のことが起こっている。

新聞から移ってきた彼らは即戦力。記者として支局で訓練され、「夜討ち朝駆け」(朝や夜に自宅などを訪れて取材すること)も、地取りも、原稿書きもしっかりこなしてきた人たちです。今や文春プロパーの若手社員も彼らの背中を見て学んでいます。

――編集部の陣容を教えてください。

ニュースを担当する「特集班」の記者は40人あまりです。そのうち社員が10人ほどで、30数人がいわゆる特派記者です。一年ごとに契約をしてもらい、その間は文春専属として働いてもらっています。最近増えたと申し上げた新聞出身のほか、「週刊現代」「フライデー」「週刊新潮」などに以前は在籍していたスクープ記者や、最近では「バズフィード」「ビジネスインサイダー」などのネットメディア出身者もいます。

――しばらく前のことですが、私が大学で教えていたとき、学生が「写真週刊誌は人権侵害やプライバシー侵害をしている。どんな人がいるのか」と言ってきたことがあります。

確かに、私も時々大学でメディアに興味がある学生を相手に講義を頼まれますが、週刊誌記者のような仕事をしてみたい! という人は減っていると思います。ある就職人気企業ランキングでは、集英社、講談社、小学館など出版社がかなり上位にいるのに、うちは100位にも入っていない。漫画の仕事、および、そこから派生するコンテンツビジネス(たとえば映像化やグッズ販売、海外展開など)をしたい若者が多いからでしょう。

「週刊文春」でも「竜馬がゆく」を鈴ノ木ユウ先生の筆で漫画化して連載したり、コミックサイト「BUNCOMI」を新たに展開してはいます。しかしながら「サンデー」「マガジン」「ジャンプ」のような圧倒的なブランドとパワーを持つ漫画雑誌はありませんし、なかなかすぐに順風満帆とはいかないようです。若者の人気が乏しいのはショックですが、どうしても「文春」と聞くと「書かれる側の人権は?」とか「何だか危なそうだな」といったイメージを持つ若者は少なくないのかもしれません。そうした若者にも「こんなに面白く、やりがいのある仕事なんだ」と、ことあるごとにアピールしています。
(株式会社学情が2023年11月に発表した2025年卒学生対象「就職人気企業ランキング」)
https://service.gakujo.ne.jp/jinji-library/saiyo/00085/

月間100本のオンライン記事 「もう『週刊』ではない」

――しかし、それだけに「週刊文春」に配属される人は「ぜひやりたい」という人が多いのではないですか。

社員の場合は、3~5年程で異動するので、ケースバイケースですね。私自身も昔は文芸編集者に憧れていました。ただ、特派記者の方は、先ほど申し上げた通り、各社から「文春でスクープを放ってみたい」と考える猛者たちが集まっていますので、モチベーションは高いと思います。

――私は1970年に講談社に入社しましたが、そのころ「週刊文春」はコラムやエッセーがおもしろく、いわばサロン雑誌的なスタイルでした。変わったのは花田紀凱さんが編集長になってから(1988~1994年)。「女子高生コンクリート詰め殺人事件」の加害少年の実名を報道するなど「問題提起型」になった時。そして、新谷学さんの編集長時代(2012~2018年)に「選択と集中」でスクープに全力を投入した。昨年夏から竹田さんのもとで、また新しい時代の「週刊文春」になっていくのだろうと期待しています。

私が20年前に記者になったときのデスクは新谷でした。どこにも載っていない、誰も知らない面白い話を、どこよりも早く、面白く報じる。基本は今も昔も、これに尽きるのだろうと思います。そのために、お金も時間も手間暇もかける、というのも当時から変わらないですね。

ただ、もう「紙」だけを売るのではビジネスとしては厳しい時代になっています。いかに、WEB上のサブスクリプションサービス「週刊文春 電子版」(月額2200円)でお客様を獲得できるかが重要な課題です。記事紹介も兼ねた短いスクープ速報などを、まず無料の「文春オンライン」に出し、それに連なる長い記事や、音声動画など希少性の高いコンテンツを有料の「週刊文春 電子版」に出す。あるいは、今注目を集める参政党の特集や、子どものお受験を巡る現状の特集など、紙の週刊文春には載っていない企画も「週刊文春 電子版」のオリジナルコンテンツとして配信しています。紙のコンテンツ以外に、平均で月間80本から100本ほど、文春オンラインと電子版に毎日のように記事をだしていますから、そういう意味では、もはや「週刊」ではないんですよね。

民放のニュースも朝日新聞も文春も、すべてのメディアの記事がフラットに電子空間に並べられる中で、いちばん「スクープ力」があるメディアでいたいと考えています。

――「週刊文春 電子版」の読者が2万人を突破したそうですが、順調に伸びているのですか。より多く、5万、10万と読者がほしいと思われますか。

極めて急激に伸びています。去年までは有料読者数が5000人ほどでした。でもやはり、スクープの力は大きかった。まず「木原事件(木原誠二元官房副長官の妻にまつわる重大疑惑報道)」で当時の取調官が実名顔出しで取材に応じ、昨年7月に記者会見もしたあと、一気に数千人単位で有料読者が増えました。秋口には「宝塚歌劇団パワハラ問題」キャンペーンを始めた。これも多くの読者を獲得し、1万1000人ほどになりました。

このあと12月末発売の合併号で松本人志さんの問題をスクープすると、そこから一気に約2倍になって2万人を超えました。ただ一方で、紙の週刊文春は、2000年代前半は毎週60万部近く売れていたわけです。それが今や20万部前後。他のライバル誌も軒並み10万部前後です。この減少幅を考えれば、電子版の読者を5万人、10万人と増やしていきたいのは当然で、常に意識しています。

「これグッとくるな」 理屈ではなく心が動くものを選ぶ

――この言い方がいいかどうかわかりませんが、総合週刊誌の世界は今や文春の「独り勝ち」ですから、情報提供も洪水のように入ってきているでしょう。その中から何を取材するかという「選択基準」はどんなものでしょう。

基本的に、編集長の私と、特集班にいる6人のデスク、それに電子版ディレクターの計8人で会議をやって決めています。理屈やマニュアルではなく、「この話、面白そうだね」「これがグッとくるな」「この裏側が知りたいな」というふうに、「面白がって作る」ことを大事にしています。たぶん元木さんも同じだったと思うのですが、そこは教科書やルールがある世界ではないので、あまり厳密に考えていません。もちろん過去に売れたコンテンツのデータや、読者からのメール、お手紙などは参考にしますが、我々作っている側の心が「面白い!」と動くもの、自分がお客さんだったら「こんなの読みたい!」と心が反応するものを選ぶのが基本だと思います。

――情報がたくさん寄せられるだけに、気をつけなければいけないのはフェイク情報です。

裏付けを取ることに関しては、本当に労を惜しまずやってもらっています。たとえば、松本さんの問題では、被害女性の話自体は、何年も前のことで録音や録画などももちろんない。しかし、百戦錬磨の記者たちが何度も取材を重ね、必死に訴える彼女たちの語り口、証言のぶれのなさなどから、真実性は高そうだと考えた。そこから本格的な裏取りを始めているわけです。たとえば、ホテルの間取り図を描いてもらって、実際にその部屋に宿泊し、彼女らの記憶と合致するかを検証する。また、彼女が知っている携帯の電話番号は、松本さんがめったに教えないプライベートな番号だったそうですが、それも関係者にあたって本物だという裏付けを取った。フェイクの告発者であれば分かりえない「秘密の暴露」ですよね。あるいは、松本さんはその日、ちょうど頭髪を金色に染めてきたという。8年前のその日の前後のテレビのVTRを全部業者から買い求めるなどして検証すると、もともとの茶髪がもっと鮮やかな金髪になっているタイミングが丁度あって、彼女らの記憶とピタリと一致する。ほんの一例ですが、こうした細かな検証には、莫大なお金と時間、手間をかけています。

――「週刊文春」に対する期待感が大きいなかで、編集長へのプレッシャーは相当強いのではないかと思います。どのように対応していますか。

松本さんの問題以降、「5億5000万円を請求する訴状が届いて、大丈夫ですか」と、いろいろな方から心配していただくのですが、強がりでも何でもなく、プレッシャーは全然感じません。毎日が心底、楽しいんですよ。素晴らしいスタッフ、デスク陣、日本最高の記者と編集者がそろっているので、毎日のように、現場からデスクを通して「これ、撮れました」「キーマンをようやく口説き落とせました」「あの事件、真相はこうらしいです」などと報告が上がってくる。こんなに面白く、興奮できる仕事はあまりないですよね。校了日の火曜の夜に、「あー、今週も疲れたけど、面白かった!」で、あっという間に1週間が過ぎていく、その繰り返しです。

週刊誌記者には訴訟もある種の「勲章」

――「木原事件」はまるでミステリー小説を読むような展開でした。前もって、次の号に何を出すか周到に用意していたのですか。

よく「文春は二の矢、三の矢を持っている」などと言われますが、全然そんなことはありません。まさか、あそこまで話が転がるとは我々も思っていませんでした。事件に関わった捜査員をリストアップし、うちのエース記者たちが懸命に「地取り」をしたが、最初は伝説の取調官がどこに引っ越したかもわからなかった。「ご存じないですか」と名刺をいろいろな人に渡していく中で、ご近所の人がその取調官と仲良しで、わざわざ「文春の記者があなたを探しているよ」と連絡してくれた。当の取調官も「文春」の記事を読んでいて、本人から「知っていることを話そうか」と電話がかかってきた。こんな小説のようなことが実際に起きて、あのキャンペーンが次々とつながっていくわけです。

――現場の愚直な頑張りがツキを呼びこんだわけですね。取材力とツキがそろえば鬼に金棒だ。話は変わりますが、日本のメディアは新聞、テレビ、週刊誌、最近ではインターネットメディアも力を持ってきています。そういう状況のなかで、新聞の媒体としての力が落ちてきたことについて、どうみておられますか。

難しい質問ですが、ある程度は、時代の必然だろうと思います。電車の中で紙の新聞や雑誌を読んでいる人はほぼいませんよね。誰もがスマホやタブレットの中で物事を完結させている。そういう状況の中で、何かを変えて思い切った手を打たなくてはならないのに、新聞はリスクを恐れすぎなんじゃないかと思います。

松本さんの問題でも、聞くところによると、新聞社の記者も懸命に被害女性の取材をしているそうです。しかし、紙面では全然やらない。上からストップをかけられているのでしょう。私たちは必ずしも、100%とはいえなくても、99,9%まで「これは確かであろう」という確度を高めて、ある種、最後はリスクを取って報じるべきだと思うことを報じているわけです。でも、それをよしとしない減点主義の文化が新聞にはあるように思います。訴えられるような記事を書けば、それがたとえ報じるべき事実であっても、訴えられた時点で、そんな奴は出世できないぞ、というような。

私たちは全く逆です。私自身も訴えられたことが何度もある。刑事告訴されて東京地検特捜部に呼ばれたり、民事訴訟の法廷に立ったこともあります。あまり褒められた話ではありませんけど。でも、きちんと取材し、確信をもって書いたのであれば、ある意味「勲章」に近い面もある。雑誌記者としては、巨大な相手がカネにものをいわせて訴えてきても、ちゃんと闘って正当な判決を勝ち取ったら、それこそ勲章だと思います。

論より証拠 「官邸の守護神」の賭け麻雀を暴く

――メディアの役割である「権力監視」が本当にできているのか、という疑問が新聞などに対する「メディア不信」につながっているという見方があります。

私がデスクだったとき、「検察庁法の改正を阻止すべきだ」という論陣を新聞が張っている時期がありました。私たちがやったことは「論より証拠」。「官邸の守護神」といわれていた黒川弘務・東京高検検事長(当時)が検事総長になるのかが注目されている時期に、賭けマージャン情報が入手できた。そこで、行動確認し、麻雀の舞台となっている新聞記者宅に入っていくところ、出てくるところをきちんと写真におさめ、直撃をして、記事にした。まさに、「論より証拠」です。あの記事と写真を掲載することで世の中が変わっていく。そういうところに、この仕事の面白さ、ダイナミズムを感じます。オピニオンや論説も大事ですが、それよりも、よりファクト・ファインディングにリソースを割きたいと思っている。そこが、昨今の新聞とは少し違うのかもしれません。

――それは、違っていて当然だと思います。週刊誌や雑誌はある種、噂を追いかけていく。新聞は「噂で書くわけにはいかない」と昔からよく言っていました。ただ、いまは「週刊文春」が、週刊誌のやるべきことを見事にやっていて、そのあとを新聞・テレビが追っかけている。新聞は庶民目線ではなく大所高所からものをいうが、それが「新聞離れ」を招いているような気が私はします。

ただ、先ほども申したように、私も時折大学に招かれて学生と話しますが、彼らにとって「新聞か、雑誌か」はもはや意味をなしていません。彼らは、ほぼ新聞や雑誌をめくったこともなく、スマホでニュースを読んでいますが、そのコンテンツの供給元が新聞か、雑誌かなんて全然気にしていない。

私たちは「優良なコンテンツ」「よそで読めないスクープ記事」を作るのがいちばん大事な仕事です。それを今は「紙の週刊文春で読めますよ」「無料の文春オンラインでも一部は読めますよ」「有料の文春電子版で、全てをいち早く読めますよ」と、器を使い分けているだけです。だから今までもこれからも、「どこにも負けない魅力的なコンテンツを作る」ということが最も大事であることは変わりません。

音楽を聴くのにレコードが好きという人もいれば、CDで聴くのが好きという人もいれば、配信サービスがいいという人もいるというだけの話で、形はどうでもいい。ただ、「紙」の読者は確実に少なくなっていく。いまビジネスとして一番力を入れているのはやはり、有料サブスクサービスの「週刊文春 電子版」です。

無料で読めるものに価値はあるか

――巨大なプラットフォームが、新聞や週刊誌の作った記事を、いわばつまみ食いして流すことに対して、メディア側が「きちんと金を払え」と主張している問題があります。どのようにお考えですか。

今がまさに過渡期です。何年か前までは広告単価がある程度高かったので、無料の文春オンラインで記事をどんどん読んでいただいても、ビジネスとして成り立つ可能性があった。しかし、広告単価がどんどん下がって、それだけではビジネスとして成り立ちにくいことが徐々に明らかになってきています。「週刊文春 電子版」に毎月2200円払っても「やっぱり文春の記事は読む価値があるな」と思っていただける読者を1人でも2人でも増やしたい。我々が生き残る道は、これしかないと思うんですね。有料の意味を理解してくれる優良な読者を大切にしていくために、読者参加型のイベントも積極的に行っています。

広告単価がこのまま下がっていけば、無料で読めるネット空間は、ほとんど「コタツ記事」(テレビやSNSの情報をもとに独自取材をしないまま安易に作る記事)を中心とした、読む価値のあまりないコンテンツだらけになる。「ネット上で無料で読めるものに、本当に価値があるのか?」という時代がすでに始まりつつあるのかなと思います。やっぱりそれなりの対価をいただかないと、調査報道などは到底できませんしね。

迷ったら、村上春樹氏のスピーチ「壁と卵」を基準に

――「報道とは何か」がこの連続インタビューのテーマです。どのようにお考えですか。

こう言うと大げさですが、先の大戦で「大本営発表」があれだけ垂れ流されたことを想起すると、お上の言いなりにならず、自分たちで自由にものを考え、時には当局の発表を疑い、どんな取材対象でも忖度なしに伸び伸びと書けるメディアが日本にあったほうがいいに決まっています。我々の存在はそんな大層なものではありませんが、少しでもそういう風になっていたらいいな、という気持ちはいつも心の片隅にあります。もちろん毎週目の前のネタをどう料理するかに必死なので、そんな高尚なことを常に考えているわけではないのですが。

当局発表に頼らず、政治家や官僚の問題があれば、裏付けを取ってきちんと書ける。あるいは、相手が芸能界であっても同じです。うちは1999年に故ジャニー喜多川氏の少年への性加害問題を書いて以降、約四半世紀にわたって、旧ジャニーズ事務所とは絶縁状態でした。カレンダーや写真集を作ったこともなければ、雑誌の表紙や本の帯で協力してもらったこともない。失ったビジネスチャンスは多々あると思いますが、それでも諸先輩が長年信念をもってやり続けてきたおかげで、もっと大きなものを得たと思います。相手がどれだけ強大でも、本当のことを書くメディアだという読者からの信頼です。

もう一つ、このネタをどうしようかと迷ったとき、私は「壁と卵」があった場合、「壁」ではなく「卵」の側につくということを一つの判断基準にしています。これは、敬愛する作家の村上春樹さんがイスラエルの文学賞「エルサレム賞」を受賞したときのスピーチの、あの「壁と卵」です。たとえば、財務省という巨大な壁があって、そこに立ち向かう赤木雅子さんが何度、裁判ではね返されても「真実が知りたい」と言い続けていたら、必ずそちらの側に立つ。私がデスク時代に担当した記事で最も印象深かったのが、2020年3月に、元NHK記者で当時大阪日日新聞に在籍していた相澤冬樹さんにご寄稿いただいた、〈森友自殺 財務省職員遺書全文公開「すべて佐川局長の指示です」〉という記事でした。赤木雅子さんが亡夫の遺書を相澤さんを信じて提供し、記事化されたものです。これによって、赤木雅子さんの御主人、近畿財務局にお勤めだった赤木俊夫さんが心ならずも文書改ざんという不法行為を強いられ、心身を傷つけられ、死を選ぶところまで追い詰められていく過程が初めて明らかになりました。改ざんを強いた財務省幹部らの実名もすべて明記された遺書のインパクトは物凄かった。瞬く間に雑誌は完売し、当時の編集長の、これは多くの日本人に広く読まれるべき「公共財」であるとの判断で、しばらく無料でオンライン上に公開しました。

今回の松本人志さんの問題でもそうです。テレビ局や吉本興業という非常に高くて堅牢な「壁」があって、そこに守られている松本さん。対して、傷つき、泣いている女性が何人も「話を聞いてください」とうちに証言してくれている。女性側、つまり「卵」の側に立つというのは大前提です。松本さんには強大な事務所も、大勢のファンやSNSのフォロワーもついており、何倍もの力で反論可能なわけですし。そこの判断基準は非常にはっきりしています。
(村上春樹氏が「壁と卵」について語ったのは、2009年2月にイスラエルで行われた文学賞「エルサレム賞」の受賞スピーチ)
https://www.huffingtonpost.jp/entry/haruki-murakami-jerusalem-prize-speech_jp_65362f0ae4b0689b3fbd1c7e

――週刊誌はいくら頑張っても、扱えるネタは限られています。森羅万象を扱うわけではない。しかしネット上で、国際情勢などを「文春」なりの視点と判断で載せていくようなエリアを広げていく方向性について、どうお考えですか。

ガザ問題が起きた週から、うちでは連続キャンペーン「イスラエル・ハマス戦争 私はこう考える」を始めました。山内昌之さんやE・ルトワック氏、保阪正康さんなど多くの方の貴重な言論は、「週刊文春 電子版」で、今もすべて読めるようになっています。また、最近では、トヨタなど巨大企業の研究も意欲的にやっています。おっしゃるような「森羅万象」とまでは行かなくとも、政治、経済、芸能、スポーツ、事件、国際問題など多くのジャンルについて、ある程度、精度の高い報道ができている実感はあります。

将来的には、ザラ紙で130ページほど、という「現在の形のままの週刊文春」はなくなっていくと思います。無論、決して紙の雑誌が滅びるわけではありませんが、配達網とコストの問題もあり、首都圏や大都市以外では発売日がどんどん遅れていくこともあって、週刊誌の形は変わっていかざるを得ない。電子空間で読者を獲得することの重要性は今後ますます大きくなっていきます。信頼されるスクープもあれば、面白いコラムもあれば、国際情勢の記事もあるという「文春ブランド」をより磨いて、紙でも電子でも読んでいただけるようにする、ということに尽きます。

――「週刊文春」の報道にタブーはありますか。

「ありません」と言えれば格好いいのですが、一生懸命探せば、幾つかはあるでしょうね。たとえば、長年連載してくださっている作家の方のことをどこまで書けるか。雑誌を置いてくださっているコンビニや書店のことをどこまで書けるか、などと詰問されれば、きれいごとだけでは済まないような気もします。それでも、うちはよそと比べても、かなり自由度が高い媒体だと思います。芸能でも、政治でも、ほとんどタブーを感じることはない。広告をいただいている企業のことも、きちんと取材を尽くして正確な報道をする限り、基本すべてOKです。

プロフィール

竹田聖(たけだ・さとし)氏

1978年、富山県生まれ。東京大学文学部卒。2001年、文藝春秋入社。「ナンバー」「週刊文春」「文藝春秋」の記者、デスクを経て、2023年7月より「週刊文春」編集長。

元木昌彦(もとき・まさひこ)氏

インターネット報道協会代表理事、編集者

1945年、新潟県生まれ。早稲田大学商学部卒。1970年、講談社入社。「月刊現代」「週刊現代」「婦人倶楽部」を経て1990年に「FRIDAY」編集長。1992年から1997年まで「週刊現代」編集長・第一編集局長。1999年、オンラインマガジン「Web現代」創刊編集長。2006年、講談社を退社し、2007年から2008年まで「オーマイニュース日本版」編集長・代表取締役。著書に『週刊誌は死なず』(朝日新書)、『孤独死ゼロの町づくり』(ダイヤモンド社)、『「週刊現代」編集長戦記』(イースト新書)、『競馬必勝放浪記』(祥伝社新書)、編著に『編集者の学校』(講談社)『編集者の教室』(徳間書店)、『新版 編集者の学校』(講談社+α文庫)、『現代の“見えざる手”』(人間の科学新社)、『野垂れ死に ある講談社・雑誌編集者の回想』(現代書館)などがある。