企業広報から見る ネットメディアの課題

佐桑徹・経済広報センター常務理事・国内広報部長

聞き手 元木昌彦・インターネット報道協会代表理事

「等身大」の会見が本来の目的 メディアトレーニング

――佐桑さんは、東京新聞・中日新聞経済部記者から、経団連の考えや企業活動の最新事情を発信する一般財団法人「経済広報センター」に転じ、いわば「取材する側」と「取材される側」の両方の現場をくわしく知っておられます。記者から企業広報に立場が変わったあと、メディアを見る目は変化しましたか。

経済広報センター 1970年代の石油危機の際に企業への批判が高まったことを契機に、1978年に設立。経団連の考えや取り組み、日本の企業や業界が社会のために貢献している姿を、マスコミ、オピニオンリーダー、教育界や一般社会など、内外の様々なステークホルダーに発信し、対話を通じて日本の経済界に対する信頼の確保に努める。会長は十倉雅和・経団連会長。賛助会員は38団体、226企業。
https://www.kkc.or.jp/profile/

基本的には同じです。ポジティブな内容であれば、企業広報とメディアで良い記事や良いテレビの番組をつくろうという部分で共同作業ができるところもあります。とはいえ、企業の広報部が出したい情報は、やはり企業の都合によるものです。商品情報であったり、「SDGsをやっています」というものであったり、なかにはひとりよがりのものもあります。また、企業広報には成果が求められ、新聞記事の効果測定もしています。これは要するに広告換算です。「日経新聞でこのスペースの記事であれば、いくらにあたる」というものです。しかし記事のスペースは、その日のニュースの量に依ります。

新聞のスペースということで言えば、私が記者時代に、こんなことがありました。不祥事で退任した会長がその会社の新年会に出て壇上に上がった。その情報をつかんで、社長に「本当ですか」と電話すると、「うちは営業でもっている会社なので、前会長がいないと意気が上がらない」という。私は記者として、それはおかしいと思ったので記事を書きました。1月4日は社長あいさつが多い日なので、翌5日の朝刊で私の記事は小さな扱いになりました。すると、その会社の広報部長から電話があって「社長が『記事を小さくしてくれて、ありがとう』と言っています」と。スペースの大きさで広報効果を判断する企業とその日のニュースの量で記事の大きさは変化すると考えるメディアでは、感覚が、企業とメディアではずいぶん違うと思います。

――不祥事で記者会見をするとき、その会社の広報部は非常に頭を悩ますでしょう。謝罪会見の方法というものがあるのですか。

取材対応の「メディアトレーニング」をしている企業が増えています。最初は形からです。謝罪会見では「このたびはお騒がせして申し訳ありません」と社長や役員たちが頭を下げる。その頭を上げるとき、ばらばらになるとよくないので「5秒で一斉に頭を上げましょう」などと伝えます。

最近は「余計なことを言わない」ということが強調されるようになっています。謝るところは謝る。わからないところは「まだ調査中です」ときちんと言う。余計な発言は控え、メッセージをきちんと出す。そんな等身大の会見が良いのです。メディアトレーニングというと、何かお化粧するようなイメージを持たれるかもしれませんが、実際はそうではなく、企業の本当の気持ちがあらわれるようにアレンジすることが本来の姿なのです。

余談ですが、私の経験則では、“水割り”懇談などお酒を飲んで楽しい人はおしゃべりなので、不祥事に弱いかなという印象はあります。社長が「俺はしゃべるのが得意だから、トレーニングは必要ない」と言ったり、「副社長に会見を頼む」という会社があったりもします。おしゃべりな社長こそ、一言多かったり、リップサービスがあったり、危ないのです。しかし、社長に物が言える広報部長は多くはありません。

日本の企業広報には「内向き」の部分があります。これも記者時代の経験ですが、ある社長が私のインタビューに答えて、自分の座右の銘について話した。でも、それは典型的な誤用とわかりました。そこで広報部に連絡すると、「社長はこの言葉を10年使っていますから」といって社長に言えない。このような内向きの会社があります。これは米国のように広報人材の流動性がないから、どうしても内向きになるのです。

メディアの多様化 記者クラブの衰退

――ある時期から広報に優秀な人が増え、企業も「広報は大事な部署だ」と認識するようになってきたと思います。新聞、テレビ、雑誌に加えて、この20年ほどでインターネットメディアが伸びてきました。この変化をどのように見ておられますか。

昔は、新聞やテレビが報道したことは絶対でした。みんな新聞を読んでいて、新聞に書いてあれば、それは事実で間違いないという世界でした。しかし、いまは分散しています。

歌にたとえると、昭和の歌謡曲はみんなが知っていました。でも今は、おじさん世代の歌と若い世代の歌はまったく違う。メディアの状況も似ています。昔は「朝日新聞に記事が載った」「日経新聞に載っていた」という話をしていた。今はネットメディアも含めて、読む人が分散している。そして、よく見えない。

――企業広報も昔は記者クラブで新聞とテレビを中心につきあっていれば、それでよかった。しかし、いまはネットメディアからSNSまであって、非常に多様化している。広報の仕事も難しくなっているように見えます。

おっしゃる通りです。特定の加盟社しか出入りできない記者クラブもありますが、従来のような閉鎖的な記者クラブは崩壊に向かっているように思います。

私はこの経済広報センターに来て27年目なのですが、外国の通信社が「クラブに常駐させてくれ」と求めてきた時期もありました。田中康夫氏が長野県知事のころには、どんな人でも記者会見に来ていいという、クラブを事実上崩壊させるようなこともありました。「3.11」東日本大震災のとき、東京電力の緊急会見にはネットメディアを含めて色々なメディアが入りました。そういう流れはずっとあるのです。

それに追い打ちをかけるように最近、既成の新聞はリストラで人を減らされています。また、メディアごとに分室を持つようになったこともあり、クラブに常駐する記者の姿がほとんど見られなくなりました。彼らは、少ない人数でウェブ版の記事も書いているという。昔に比べたら2倍ぐらい仕事をしているのではないでしょうか。このようにメディアを取り巻く状況が大きく変わり、多様化しやすい方向に向かっていると思います。

――広報としては昔のように、記者クラブに「一極集中」していたほうがやりやすかったということでしょうか。

メディアも広報も、ある意味、便利だから記者クラブを使っていたのだと思います。広報から見れば、情報を一回投げれば全部に行き渡る。しかし、今はコロナ禍の影響もあって、一斉メールで発表を流すなど、広報のしかた自体も変わってきています。

――インターネットを使った広報活動ではトヨタが有名です。あのように自社でネットメディアを持つ動きはこれからさらに広がるのでしょうか。

トヨタのやり方は、ほかの会社全てがマネできることではないと思います。もちろん、多くの会社がホームページなどのオウンドメディアを使っています。そこで一番の課題は「人が見にきてくれない」ということなんです。自社メディアだけで広報しようとしてもなかなかうまくいかず、限界がある。もちろん企業はターゲティングをして、X(旧ツイッター)やTikTokではこうしてとか、若い世代向けにはこうしてなどと、対象を分けて取り組んでいるのですが、必ずしも会社が望んでいるほど多くの人が見にくるという状況ではありません。

「メディア不信」と「制限された自由」

――メディアへの信頼が失われてきたといわれています。「メディア不信」をどうお考えですか。

「メディアへの不信」を考える前に、「報道とは何だろう」と考えてみました。うまくまとまりませんが、報道の自由について「制限された自由」という問題が根底にあると思います。たとえば中国では、批判的なことを書いたら支局が閉鎖されます。だけど、支局を閉鎖されるよりは、妥協を重ねても、書ける範囲で中国の様子を伝えたほうがいいでしょう。

日本でも、企業取材でいえば、たとえば工場火災の現場にロープが張ってあり、そこから入らないでくださいと言われると、記者は「はい」と言う。政治の世界では、閣議の前などに「頭撮り」といって、冒頭の場面しかカメラに撮らせない。会合、会談を実際に取材していないでレクチャーを聞いて記事を書く。それはプロ野球の試合を見ずに、球団広報の説明を聞いて記事を書くようなもの。そういう面では日本も制限されているなと思います。

大規模な集会があった場合、「主催者発表10万人、警察発表3万人」としたり、観客が5万人も入らない後楽園球場が「5万5千人」と報道されたり。こうしたことの積み重ねが不信につながっている面もあると思います。

すたれる「飲みニケーション」、情報の蓄積に懸念

――取材する側と取材される側をどちらも知っている立場から、双方の付き合い方について指針になるようなことがあれば教えてください。

日本の新聞記者は1年か2年で持ち場が変わります。企業の広報担当者は、「せっかく業界のことを理解してもらったのに、もういなくなる。また何も知らない記者が来る。これでは深みがある記事にならない」と嘆く。一方、記者は「1年間担当したら、だいたいその業界のことはわかる」と言います。

新聞社の記者は、大学を出て、地方の支局を経験して、東京に上がって、たとえば経済部の記者になり、やがてデスクになる。もし経済部に来てからデスクになるまでに10年かかるとすると、毎年持ち場が変われば10カ所を見られる。しかし、同じ業界に5年いたのでは2カ所しか見られない。それではデスクになってもバランスがとれないから、好ましことではないとされます。

企業の人たちに私は、「記者が毎年交代するのに対応するのは大変だと思うけど、あなたたちの企業のファンになった記者が将来、論説委員や経済部長になったりする。そのときにまた会って『今の問題はこうですよ』と話せば、絶対にプラスになって戻ってくる」と話しています。「担当が替わってもインフォーマルな関係を続けることが重要です」とも言っています。

――われわれの時代のメディアは酒をのむ「飲みニケーション」が主流でした。最近、若い人たちはあまりそういう付き合いをしないといわれています。企業の広報がメディアと腹を割って話す機会を持つことは難しくなってきているのでしょうか。

そう思います。私が記者の頃は「飲みニケーションをして情報の貯金をしましょう」なんて言い方をしていました。しかし、コロナ禍以降、サラリーマンの飲み方も一次会で終わるようになりました。最近は極端に言うと、若手に「飲みに行く」というだけでパワハラだと言われたり、「それは業務命令ですか。ならば残業代はつきますか」と言われたりするともいいます(笑)。「面倒だから、課長以上でメディアと夜、懇談をする。若い人は参加しなくていい」という会社もあります。ライフワークバランスを考えるし、広報部にも女性が増えているので、「夜、記者と一緒に飲むのはあんまり」という声も聞きます。いろいろなことから付き合い方は少しずつ変わってきて、業界の裏事情を知ることは難しくなっているなという気はします。

――AI(人工知能)が世の中すべてをガラリと変えるといわれています。日本でも企業がAIを発信などのツールとして使おうとしているのではないでしょうか。新しい試みがあれば教えてください。

経済広報センターの会員は大企業ですが、だいたい20%が生成AIを使ったり利用を検討したりしています。プレスリリースを書くのに生成AIを使えば良いものができるかもしれないが、今はまだ、しっかり文章を書ける人が広報にいるので、そちらの方が早い。AIがまだ十分に学習していないのでAIを使うほうが面倒くさい。まだそういう受け止めの段階だと思います。実験的に使ってみようか、というところです。

ただ、広報的なイベントの企画づくりに生成AIを使うことはこれから増えてくるだろうと思います。広報部員が頭をひねっても素人なので限界があるし、PR会社を使うと費用がかかる。生成AIと「どんな企画が斬新か」と言葉のキャッチボールをするわけです。

これからどんどん学習を増やしていけば、良い企画ができるかなと思います。

ネットメディアの課題は「認知度」の低さ

――インターネット報道協会に所属しているネットメディアは「第四のメディア」になれるのか、まだ手探り状態です。発展していくためにどうしたらいいとお考えでしょう。

経済広報センターでは「生活者の“企業観”に関する調査」というアンケートを毎年行っています。その中に、企業を評価する際にどこから情報を得ているのかという質問があります。一番多い回答は「新聞(ウェブ版を除く)」(71%)です。次が「テレビ」(64%)です。3位に、いわゆるネットメディアである「情報提供会社のウェブサイト・ソーシャルメディア(ニュース配信サイト・アプリなど)」(48%)が入っています。「企業が運営するウェブサイト」(36%)は4位です。

経済広報センター「第27回生活者の“企業観”に関する調査報告書」
https://www.kkc.or.jp/release/?mode=show&id=186

このうち「情報提供会社のウェブサイト・ソーシャルメディア(ニュース配信サイト・アプリなど)」を男女別でみると、男性45%、女性50%となっています。世代別では、年齢が上がるごとに見ている人の割合が低くなっています。つまり将来、世代交代がすすめば、ウェブに慣れ親しんだ世代の人口が増えていくのは明快です。

しかし、私の周りにいる企業広報の人たちと話していると、ネットメディアに対する認識は、今はまだ漠然としています。「既存メディアにいた人が始めたもの」などといったイメージはあるのだけれど、「このサイトにいけば、こういう情報がある」という認識はなかなか明確に持てていないようです。

まずはネットメディアの認知度の問題だと思います。企業側の特に50代以上の人たちにとって、まだネットメディアは「どこにあるのかよくわからない。どうコンタクトすればいいのかわからない」という段階です。前述したように、今後10年たてば、代替わりして、ウェブに親しんだ下の世代が押し上げてくるので、状況はだいぶ違ってくるとは思いますが。

――フェイクニュースが大きな問題になっています。企業広報もいずれこの問題に直面する時が来るのではないでしょうか。

フェイクニュースは以前からありました。東日本大震災のとき、「海に流された人が木につかまって戻ってきた」という話が伝わってきました。うちの「経済広報」という雑誌に載せようとしたところ、それがフェイクと分かって難を逃れたことがありました。そういうフェイクの真偽をどうやって見分けるかは非常に難しいですね。

いま、日本の企業が直面している問題はむしろ、ネットの「炎上」やクレーム対応です。これに加えて、これからはフェイク画像への対応が大きな課題になってくると思います。

(インタビューは2024年3月に行いました)

プロフィール

佐桑徹(さくわ・とおる)氏

一般財団法人「経済広報センター」常務理事・国内広報部長
環太平洋大学経営学部客員教授

1958年生まれ。1981年慶応大学卒。東京新聞・中日新聞経済部記者を経て1998年に経済広報センター。現在、常務理事・国内広報部長、月刊「経済広報」編集長。東京工業大学非常勤講師、早稲田大学招聘講師などを務める。産業教育で文部科学大臣賞を受賞。主な著書に『図解でわかる部門の仕事 広報部』(日本能率協会マネジメントセンター)、『実践戦略的社内コミュニケーション』(日刊工業新聞社、共訳)、『ウェブ時代の企業広報』(同友館、編著)、『広報PR&IR辞典』(同友館、編集委員)、『新時代の広報』(同友館、共著)など企業広報関係著書多数。2024年8月死去。

元木昌彦(もとき・まさひこ)氏

インターネット報道協会代表理事、編集者

1945年、新潟県生まれ。早稲田大学商学部卒。1970年、講談社入社。「月刊現代」「週刊現代」「婦人倶楽部」を経て1990年に「FRIDAY」編集長。1992年から1997年まで「週刊現代」編集長・第一編集局長。1999年、オンラインマガジン「Web現代」創刊編集長。2006年、講談社を退社し、2007年から2008年まで「オーマイニュース日本版」編集長・代表取締役。著書に『週刊誌は死なず』(朝日新書)、『孤独死ゼロの町づくり』(ダイヤモンド社)、『「週刊現代」編集長戦記』(イースト新書)、『競馬必勝放浪記』(祥伝社新書)、編著に『編集者の学校』(講談社)『編集者の教室』(徳間書店)、『新版 編集者の学校』(講談社+α文庫)、『現代の“見えざる手”』(人間の科学新社)、『野垂れ死に ある講談社・雑誌編集者の回想』(現代書館)などがある。